BEING ARTIST FILE【OTHERS】

ヘビーメタルムーブメント

80年代中盤に音楽シーンを席巻したヘビータメルブームは、実は音楽制作集団BEINGによって仕掛けられたものである。80年代前半、日本におけるヘビーメタルの地位はアイアンメイデンやキッスに代表される洋楽においてのみ存在し、一部の音楽通やギターキッズにのみ支持されていたに過ぎなかった。日本の音楽シーンにおいてもフォークサウンドからロックへの変遷期に過ぎず、本格的なロック、特にここでいうハードロックは1980年に結成されるBOW WOWの結成を待たなければならなかった。そして、日本のヘビーメタルに革新というべき存在が誕生するのが翌年の1981年である。アイドルバンドとして人気のあったLAZYのメンバーにより形成されたハードロックバンドLOUDNESSがデビューを飾る。デビュープロデュースを担当したのが長戸大幸氏であり、ビーイングのスタッフ達である。LOUDNESSの誕生秘話に関しては数多くの書籍に掲載されているのでここでは割愛させていただくが、長戸氏が積年に抱いていたロックをやりたいという強い願望が一つの形になった事は確かだ。事実、LOUDNESSのサウンドスタイル、演奏プレイ、楽曲ライティング能力、ビジュアルといったどの点を鑑みても、それまでの日本のアーティストが引きずってきた独特の匂いは感じられない。いまだにビーイングがプロデュースした初期日本コロムビア作品が幾度にも渡って再販され受け続けている事からもロックシーンに与えた反響は大きかったと言える。こうしてLOUDNESSで成功を収めたビーイングは、次なる一手を打つこととなる。それがH.M.イニシャルの女性シンガーの登場だ。既に女性アイドルとロックの融合は三原順子や一色ゆかりにより果たされており下地は完成していた事は自明であり、その方程式にヘビーメタルを掛け合わせるだけに過ぎなかったのではなかろうか。LOUDNESS高崎晃がサウンドプロデュースをし、メンバーがバッキング演奏を務める本城未沙子のデビューは1982年、いわゆる魔女三部作ではバリバリのヘビーメタルである(予断ではあるがテイチクより、魔女三部作がCDとして再発されているので興味のある方は是非聞いていただきたい)。1983年には本命というべきH.M.イニシャルの成功例浜田麻里がデビューする。「麻里ちゃんはヘビーメタル」という糸井重里氏によるキャッチコピーとは裏腹に完成されたボーカルスタイルは当時のどの女性シンガーよりも光っていた。ちなみに初期浜田麻里のバッキングやソングライティングには松本孝弘が参加していた事も見逃せない。世界進出を目指し米国アトランティックレーベルと契約したLOUDNESSは少しビーイングとは距離を経た関係となってしまうのであるが、同時に新たな芽として天才的ギターリスト湯浅晋を中心に結成されたX-RAYがデビュー。同じくHR(ハードロック)をイニシャルとした早瀬ルミナもデビュー(長戸氏も完全なパロディと断言している)。1984年、LOUDNESSやX-RAYといった関西出身のバンドに対して、東京出身のバンドBLIZARDがデビューを飾る(裏ジャケットにもTOKYO JAPANという文字がデザインされている)事となる、BLIZARDのメンバーは美青年ばかりで結成されており、X-JAPANやGLAY等のビジュアル系の始祖的な存在として人気を博した。80年代に半ばこういったバンドは鹿鳴館等のライブハウスを中心にギグが開催されていた。言わば円熟期であり、後にBLUEWを結成する片山圭司や44MAGUNAMがプロデュースした橋本ミユキ、アイドル+メタルの歌謡メタル早川めぐみ等もデビューしている。又この時期に見逃せないアイテムとしてHEAVY METAL GUITAR BATTLEというコンセプトアルバムがリリースされており、松川敏也(BLIZARD)、北島健二、橘高文彦(AROUGE)に混じって松本孝弘が自分名義で初めて登場したのだ。今やウン万円単位でプレミアとして取引されている松川敏也(RAN)ソロアルバム「BURNING」では当時、ビーイング音楽振興会の生徒であった稲葉浩志が変名Mr.CRAZY TIGERとして熱いシャウトをしている点も見逃せない。しかし、86年にはヘビーメタルブームは収束していく事となりニューミュージックブームへと変遷していった。近年、この当時のヘビーメタルはジャパメタと称されて廃盤となっていた数多くの作品が再発され、又オリジナルメンバーのLOUDNESSやEARTH SHAKERや44MAGUNAMが再結成が話題となっている。ここで培われたハードロック、メタルサウンドのノウハウはB'zやZARD、T-BOLAN、TWINZER(後期)、FEEL SO BAD等に脈々と受け継がれていく事となった。
補足@上記で挙げた以外にも、MAKE-UPやACTION、EARTH SHAKER等の作品制作にビーイングが関わっている。
補足ALOUDNESSは完全にビーイングから離脱したのではなく、第2期のマイクヴァーセラー時代や第3期、第4期ともにビーイングが制作からリリースまで大きく関わっている。

BLUES(ブルーズムーブメント)

70年代前半やウェストロードサゥス・トウ・サゥス等、ブラックミュージックに影響されたバンドによるブルースブームが関西を中心に広まっていった、このブームは関東へも広がり日比谷音楽堂を満員にまでした。80年代にはブームとしてのブルースは失速して行くが、当事者であったミュージシャン達は頑固にも彼らのブルースミュージックを追求していった。ビーイングとブルースミュージック、一見接点の全くない様な両者であるが実際は、その結びつきはビーイング旗揚げ時期に遡る事が出来る。ブルースハープの第一人者として活動していた妹尾隆一郎のプロデュース、マネージメントを長戸大幸氏が手掛けた事を接点として、1977年にビーイングの前身となる事務所「Big Music」が設立される事となった。余談ではあるが妹尾が共に活動していたバンド「ウエストロード」のギターリストであったのが、後に長戸氏の右腕としてビーイングを支える中島正雄氏(現コロムビアME代表)である。ビーイング旗揚げ後は数々のアーティストを世に送り出すのであるが、その中でもブルースを基調としたアーティストも決して少なくはない。中島正雄らを中心としたロックバンド「EAST LORD」(ウエストロードに対抗してイーストロードであろう。)のデビュー、後の中島氏が率いたプロジェクトチームが「Being Blues Project」(当HPのネーミングはここから拝名させていただいた。)といった具合である。1986年にブルースミュージック活性化させる為のプロジェクトが始動、1987年から約1年間、目黒ライブステーションでマンスリーライブセッションがスタートする。このセッションにはブルース界の重鎮近藤房之助を始めとして桑名晴子や森崎ベラ、若手ミュージシャンから前田亘輝(TUBE)や桜井ゆみ、松本孝弘等が参加している。このセッションの集大成として1987年11月8日に渋谷公会堂にて約40名のアーティストが一同に介し2000名の観客を動員した「It's The Blues Night」が開催されている。同時期には、ビーイング初のインディーズレーベル「YEAH(イエー)レコーズ」が発足し、数多くのシングル作品を発表している。

「LIVE!!IT'S THE BLUES NIGHT 」は1987年11月8日に渋谷公会堂でのセッションを収録したライブ盤、CD盤はLP盤より収録曲が増えており、完全版と言える。「Yeah The Blues〜Yeah Records Singles Collection〜」は1986年に設立されたブルース専門のレーベルYeah Recordsよりリリースされたシングルを集めた作品集(但し完全版ではなく収録されていない作品もある。)
DISCOGRAPHY
1988/02/03(Al) LIVE!!IT'S THE BLUES NIGHT ビクター音楽産業/invitation
1995/03/10(Al) Yeah The Blues〜Yeah Records Singles Collection〜 BOUNCE RECORDS/Yeah Records

プレイヤー・ポール・ポジション・シリーズ(PLAYER'S POLL POSITION)

80年代後半、日本はバブル景気というこの国、始まって以来の好景気に沸いていた。何もかもが金で解決した時代でもあった。日本の音楽シーンもニューミュージックムーブメントが一段落し、誰にでも楽器を手にする事が出来るようになり、素人ですら手軽にバンドを結成していた時代でもある。イカ天時代と形容されるようにプロとアマチュアとのボーダレス化が始まったのもこの時期であったと私は確信する。それまでは雲の上の存在であったミュージシャンという存在が、もう誰にでも掴めるようになった時代。楽器の演奏すらままならない有象無象のバンドが次々とデビューし、次々と消え去っていた時代。この時代を批判するつもりは毛頭ないが、この時期にデビューを果たしたバンドが見る影もなく消え去った事を考えれば、あくまで一過性の現象に過ぎなかったのは明白だ。そんな時代の中、PLAYERS POLEPOSITIONシリーズは日本のトップスタジオミュージシャンにスポットを当てて、その実力と魅力をより多くの層にアピールしようとして企画された。我が国を代表するトップミュージシャン達が参加して、息の合ったセッションを聴かせてくれる。一部のへビィリスナー以外には、注目されなかったスタジオミュージシャンの演奏力、クオリティの高い音楽性を見せつけた意義は非常に高いと考える。後にプロフッショナルなアーティストが多く所属する事となるリゾームレーベル(Rhizome)への源流となった事で大変に意義のある企画だったと言えよう。又、いわゆるビーイング系のアーティストがブレイクし認知されたのは、そのプロモーション戦略もさることながら、日本を代表するスタジオミュージシャンを多く抱えていた事も大きな一因であり、彼らの存在無くしては語れないことも付け加えておく。そして、PLAYERS POLEPOSITIONシリーズが先鞭を付けたRhizomeレーベルは近藤房之助を始め坪倉唯子、栗林誠一郎、DIMENSION、望月衛介らにしっかりと受け継がれている。

Vol.1では近藤房之助、坪倉唯子、栗林誠一郎、松本孝弘(B'z)、増崎孝司(BLUEW)、大堀薫(BLUEW)、難波弘之らが参加。フュージョン色の強い作品群で構成されている。Vol.2には坪倉唯子、栗林誠一郎、稲葉浩志(B'z)、葉山剛、明石昌夫、日詰昭一郎、石渡道明(BLUEW)、増田隆宣(BLUEW)らが参加。ビーチボーイズのカバーアルバムであり初期盤プレスの黄色ジャケット、通常盤の黒ジャケットがあり。一部クレジットに変更がある。
Vol.3では坪倉唯子、栗林誠一郎、稲葉浩志(B'z)、生沢佑一、増崎孝司(BLUEW)、小野塚晃、増田隆宣(BLUEW)らが参加。シリーズのラストを飾るのはスタンダードからマニアックな選曲までされたクリスマスソングのカバー集。今作は、PPPがサブタイトルとなっている。
DISCOGRAPHY
1989/03/21(Al) PLAYERS POLL POSITION Vol.1 ツアーサポートの剛者たち BMG VICTOR/W-RECORDS
1989/06/21(Al) PLAYERS POLL POSITION Vol.2 SURFIN'U.S.A. BMG VICTOR/W-RECORDS
1989/11/21(Al) DANCE TO THE CHRISTMAS CAROL PLAYERS POLE POSITION Vol.3 BMG VICTOR/W-RECORDS

CM NETWORK(シー・エム・ネットワーク)

音楽出版社として著しい成長を遂げたビーインググループではあるが、その源流を辿ると広告音楽出版社へと辿り着く、元来様々な企画モノを手掛けて日本の音楽シーンに寄与してきたのもビーインググループを語る上で欠かせない。一部の口さがない者はプロデューサー長戸大幸氏の手腕を企画屋と決めつけるが、それは氷山の一角しか見えない者の発言である。元来、CMソングは商品性を全面に押し出した、あくまで添え物的な付属物であった。そこに価値を見出し、価値を創り出し多くのヒットに結びつけた功績は、現在は一般的なモノとなったタイアップという言葉やオリコン誌のヒットチャートにタイアップ欄が設けられたからも十分に実感できる。そういった流れに先立ってCM音楽を手広く手掛ける音楽制作会社Mr.MUSICとビーイングのコラボレーションの下で生まれたのがCM NETWORKである。Mr.MUSICが手掛けてきた数々のCMソングを謎のユニット“CM NETWORK”が様々なアプローチからカバーするという企画は、オリジナルソングを産み出し、その精神は後述するDYNAMICSやJAMES&GANGへと引き継がれる事となる。

DISCOGRAPHY
1991/06/21(Sg) CM NETWORK WITH 坪倉唯子/魔人Vが行く Meldac/Be-Love
1991/09/21(Sg) CM NETWORK WITH FRIENDS/CM DISCO'91〜カーカキンキ歌おうぜ!〜 Meldac/Baby!Be-Love
1991/12/16(Sg) CM NETWORK/GO!GO!貴花田〜カゼに負けるなベイピー〜 Meldac/Baby!Be-Love

at the BEING studio


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